ご安全に。
私の業務分野であります労働安全衛生法の歴史についてです。
我が国は、明治維新後に欧米諸国に追いつけ追い越せの産業革命が起こります。
当時の労働者は、ないがしろにされ、使い捨て的な使われ方でした。
特に、繊維業では「女工哀史」や「野麦峠 」などの言葉で今でも伝えられています。
その労働者を守るため、明治44年に「工場法」が制定されました。
しかし、この法律の中身は、年少者と女子労働者について定めた程度の貧弱なものでした。
そして、昭和に入り、第二次大戦後の新憲法の下で労働基準法が制定されます。
その第5章が「安全及び衛生」で14の条文の登場です。細かい内容については、別規則の安全衛生規則に定める形をとりました。
その後、昭和38年11月9日に、二つの大惨事が起こります。
一つは、三池炭鉱の爆発事故です。458名の方が亡くなり、その後も一酸化炭素中毒の後遺症で多くの人が苦しむことになるのです。
二つ目は、国鉄東海道線で161名の方が亡くなった二重衝突事故です。
戦前戦後を通じて、同じ日に、二つの大事故が起きたことはありませんでした。
この二つの大惨事をきっかけとして、労働者を守ろうという気運が高まってきたのです。
たった14の条文しかない労働基準法では、安全衛生をカバーできないことから新法の着手に入りました。
そして、昭和47年に労働安全衛生法が制定されました。奇しくも、翌年の昭和48年は、第一次オイルショックで日本が経済危機を迎え、大不況に陥るのです。
旧労働省で制定に携わられた方は「1年遅れたら、この法律の制定は無理だっただろう」と回顧されています。
その時の制定に向けてのご苦労と労働安全衛生法の伝えたいことは何かを、もう一度考えてみましょう。
▽タイトル「クワガタ」
イメージ 1
写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所