田中安全衛生blog

安全衛生全般についての日々の出来事や感じた事を書いています。

2018年07月

ご安全に。
酸素欠乏危険場所の対象の中で硫化水素中毒も考える必要があります。
硫化水素は、自然界では動植物の成分としての硫黄を含んだ蛋白質等が腐敗菌で分解時等に発生します。
下水道やピット内でも貝類等の腐敗により多量に発生しているケースがあります。
硫化水素は、1~5ppmでは卵の腐ったような不快臭があります。20~30ppmでは、嗅覚神経の疲労が起こり臭いを感じなくなります。
100~300ppmでは、嗅覚神経の麻痺で不快臭が分からなくなります。
この当たりから危険回避のチャンスを失い、1時間ばく露で生命の危険があります。
700ppmで脳神経が麻痺し、800ppmで呼吸停止となります。
この様に、嗅覚は麻痺してしまい、臭いがするから分かるというのは間違っているのです。
そのために、酸素欠乏または硫化水素の発生する恐れのある場所への立入時は、濃度測定が必須です。
酸素18%以上、硫化水素10ppm以下を確認してください。酸素濃度18%未満や硫化水素10ppmを越えていたら安全な濃度になる様に換気をします。
測定時に安全な濃度でも、常に変化しますので、作業中は換気を続けます。
常に正しい作業手順に従って作業を行い、硫化水素中毒を防ぎましょう。
▽タイトル「人力消防車」

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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

ご安全に。
急いで安全衛生施策等を実行するときに「時間がない」ということをよく聞きます。
時間は、誰でも一日24時間です。これをどのように考えて使うかが大切です。
「24時間しかない」のではなく「24時間もある」と考えることです。
そして、限られた時間をいかに効果的に使うかという作戦が必要になります。
何事でも切羽詰まった状況に陥ることはよくあります。でも「あと〇〇日、〇〇時間もある」と考え、行動計画を迅速に組み立てます。
焦りは禁物で冷静になって考え、行動すれば意外と何とかなるものです。
ただ、日常から時間はコストという認識をもつことも大切です。
時間がなかったために当面の対策が実行できず、再発を繰り返すことだけは避けねばなりません。

▽タイトル「アカシアの木」

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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

ご安全に。
酸素欠乏に付いて話す機会をいただきました。
例年、この時期に起こる災害の一つに酸素欠乏症があります
私たちは、大気中に存在する約21%の酸素を吸入して生命を支えています。
これが16%まで低下すると頭痛等の症状が出始めます。10%になると意識不明から昏睡状態に陥り呼吸停止します。
人間は、活動していくためには1日に400リットルの酸素を必要とします。そして脳の消費量は、100リットル以上にもなります。
この脳は、無酸素状態では瞬時に活動を停止し、2分以上経過すれば元に戻れなくなります。たとえ命は助かっても重篤な障害を一生残すことになるのです。
酸素により脳を始め様々な体内の器官が、エネルギー生産を営み、生命を維持しています。
普段何気なく生活していますとこのことを忘れてしまうことがあります。
そして、酸欠事故が繰り返される原因の一つに酸素欠乏症の知識や理解不足が挙げられます。
酸素欠乏危険作業は、建設業、食品製造業等の様々な業種で行われています。
最近の酸欠災害件数は、5件程で推移しています。その被災者数のほとんどが死亡者になることが、毎年繰り返されています。
この問題点の多くは、作業主任者未選任や特別教育未実施等です。
身の回りでも、狭い部屋に多数入室などで酸素欠乏しそうな場所はあるものです。換気の重要性等も含めて知識の向上を図りましょう。
▽タイトル「津和野の塀」
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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

ご安全に。
労働安全衛生法は、労働者の安全と健康の確保を目的に制定されました。
仕事柄、皆さんの前でこの法律を説明する機会があります。
労働基準法の第5章から分家してできたことも以前にお話ししました。ところが面白いことに労働基準法には現在も第5章を残しています。
私が思いますのは、労働基準法と労働安全衛生法は別々の法律ではなく一体として運用して欲しい思いが入っているような気がします。
労働安全衛生法の条文改正は、国会開催しなければなりません。現在は、日進月歩、日々刻々と現場の安全衛生は変化しています。
新しい機械や新しい作業の発生等の目まぐるしい変わりようです。
その変化に対応するように法律で決めていたら、改正するたびに国会召集ということになります。
そこで「法令」「政令」「省令」「告示」「指針」と階層別に細かく具体的に定められています。
現場の変化に機敏にかつ柔軟に対応するために、このようになっているのです。
一つのことを調べようとしますと、法令の条文を見て、政令を見て、規則を見て、更に関連する告示や通達まで見てやっと分かるのです。
この話をしますと普通の方は、嫌になるようです。これが、労働安全衛生法を難解にしている理由です。
でも社会の変化にできるだけ早く対応するには、この形が良いのでしょう。
例えば、今、日本のどこかで重大災害が発生したとします。
恐らく、厚生労働省は、その日のうちに指針か通達を出し同様な災害が起きないようにするでしょう。
難解な労働安全衛生法ですが、労働者を一人でも早く事故災害から守ろうとする姿が見えてきます。
▽タイトル「噴雲」
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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

ご安全に。
小言婆さんの昔話です。
ある寺の前に一軒の茶屋がありました。
この茶屋のお婆さんは、「小言婆さん」と呼ばれて、少しずつ周りの者が遠のき始めます。
このお婆さんは、客が立ち寄ると次のような愚痴、小言をいうのです。
晴れた日には、「今日はよく晴れて困ったものだ。また傘が売れない」と嘆きます。
息子の一人が傘屋だったのです。
雨の日には、「今日もまた雨で困ったものだ。草履が売れない」と嘆きます。
もう一人の息子が草履屋だったからです。
この話を知った寺の和尚さんが、その茶屋を訪ねてお婆さんに言いました。
「晴れた日には、今日は草履がたくさん売れて良い日だ。雨の日は、今日は傘が売れて良かった、と言い方を変えて御覧なさい」
この話は、考え方を「プラス思考」に切り替えると商売繁盛するという教訓です。
振り返り私たちは、安全の改善を試みる場合でも「できない、難しい」を周りに口走っていませんか。
特に、管理監督者が口にすれば、部下もこれを継承するでしょう。
「どうしたらできるか、どうしたら安全になるだろうか」を次第に考えなくなります。
自身の口から出た言葉は、自身と周りの方をプラス思考に変える力を持ち合わせているのです。
▽タイトル「あら~エサ捜し-」
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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

ご安全に。
昭和22年、労働基準法制定に合わせて、労働安全衛生規則が制定されました。
この規則は、「先人の血で書かれた規則」とも、「成長する規則」とも言われています。
これの意味は、事故災害の発生後に、再発防止のための規則が出来ます。
つまり、事故災害で亡くなってから後追い的に条文が追加されてきたのです。先人の人が流した血で書かれた文字が規則ということになります。
規則は、一度制定されれば廃止されることは殆どなく、増える一方です。
例えば、昭和35年に有機溶剤中毒予防規則、昭和37年にクレーン等安全規則等です。
最近では、平成17年に石綿障害予防規則が制定されました。
このように労働安全衛生法とこれに基づく諸規則は「労働者の安全と健康の確保」を目的としています。
従って、現状の条文に該当しない部分で事故災害が発生すれば、条文追加となります。
条文一つひとつの「先人の思い」が理解されれば、労働災害防止となるでしょう。
▽タイトル「チョコちゃん」
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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

ご安全に。
今年、東京ディズニーランドが開園以来35周年を迎えました
私の会社生活と9年しか違わないのにびっくりです。
今考えても、そんな昔から在ったのかな、と思ってしまいます。
いまでも一番人気は、たぶん東京ディズニーランドではないでしょうか。なぜこんなにもリピート客が多いのでしょうか。
一例として、子供の夢を壊さずに実現させてあげるとか、個人に任せたサービス提供など言われてます。
子供時代に思った夢も、大人になるにつれて現実的なことしか考えなくなるそうです。
でも夢って何歳になっても持ちたいと思いませんか。そんな思いのある方が何回も訪れるのでしょう。
夢のある人生って素敵だと思います。私もできるだけ大きな夢を持ち続けようと思います。
▽タイトル「コンビニ駐車場」
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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

ご安全に。
私の業務分野であります労働安全衛生法の歴史についてです。
我が国は、明治維新後に欧米諸国に追いつけ追い越せの産業革命が起こります。
当時の労働者は、ないがしろにされ、使い捨て的な使われ方でした。
特に、繊維業では「女工哀史」や「野麦峠 」などの言葉で今でも伝えられています。
その労働者を守るため、明治44年に「工場法」が制定されました。
しかし、この法律の中身は、年少者と女子労働者について定めた程度の貧弱なものでした。
そして、昭和に入り、第二次大戦後の新憲法の下で労働基準法が制定されます。
その第5章が「安全及び衛生」で14の条文の登場です。細かい内容については、別規則の安全衛生規則に定める形をとりました。
その後、昭和38年11月9日に、二つの大惨事が起こります。
一つは、三池炭鉱の爆発事故です。458名の方が亡くなり、その後も一酸化炭素中毒の後遺症で多くの人が苦しむことになるのです。
二つ目は、国鉄東海道線で161名の方が亡くなった二重衝突事故です。
戦前戦後を通じて、同じ日に、二つの大事故が起きたことはありませんでした。
この二つの大惨事をきっかけとして、労働者を守ろうという気運が高まってきたのです。
たった14の条文しかない労働基準法では、安全衛生をカバーできないことから新法の着手に入りました。
そして、昭和47年に労働安全衛生法が制定されました。奇しくも、翌年の昭和48年は、第一次オイルショックで日本が経済危機を迎え、大不況に陥るのです。
旧労働省で制定に携わられた方は「1年遅れたら、この法律の制定は無理だっただろう」と回顧されています。
その時の制定に向けてのご苦労と労働安全衛生法の伝えたいことは何かを、もう一度考えてみましょう。
▽タイトル「クワガタ」
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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

ご安全に。
私は、40過ぎより安全衛生の業務に携わりました。
安全衛生のことが、いつも頭から離れない時期も経験しました。
職場で災害に遭わず、いつも健康で居られる方法は無いのでしょうか。
やっぱり、職場の一人ひとりが「自分の身は自分で守る」ことに尽きる気がします。
当然に労働安全衛生法があり、その規制により守られている部分も一杯あります。
或いは、安全衛生に強い職場では、周りの仲間から守られていることもあるでしょう。
事業所や職場や仲間からいくら守られていても、自身の認識が無ければ完璧とは言えません。
最終的には、「自分の身は自分で守る」ことです。この当たり前の認識を口酸っぱく言い続けなければなりません。
この話をしますと「今更そんなことは当たり前で分かっている」と反論されそうです。
自分の身を守るために、危険感受性を高めたり、何が危険かのルールを学ぶのです。
頭では分かっている「自分の身は自分で守る」ことを実際の行動に移すために、日常の安全衛生活動があります。
そして事業所で行っているKY活動や労働安全衛生法を学ぶ大切さが分かってくるのではないでしょうか。

▽タイトル「三隅町岡見の花火」

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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

ご安全に。
労働安全衛生マネジメントシステム(OSHMS)を学ばせていただきました。
きちんと学習するのは、安全衛生の世界へ入った時以来ですので、およそ20年振りです。
OSHMS導入目的の一つは、事業所でのトップダウンとボトムアップの融合で安全衛生の向上を図ることです。
またPDCAサイクルで安全衛生水準をスパイラルアップします。
OSHMS指針が平成11年に公表され、リスクアセスメントの努力義務化に伴い、殆どの事業所がOSHMSを導入していることでしょう。
このOSHMSは、事業所の安全衛生管理として、核になる仕組みです。
しかしながら、指針の目指すべき姿のノウハウが確実に継承され、機能しているのでしょうか。
一度、検証してみることは大切なことです。
検証結果、問題点や課題が見えてくれば、しめたものです。そして、解決すべき事項の改善を実行するスケジュールを作成します。
あるべき道筋より外れたまま運用し続けても効果は少ないでしょう。
是非、自事業所のOSHMSを検証し、更に効果的な仕組みとなり、労働災害防止を図ってください。

▽タイトル「鷺舞」

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写真撮影は、私の兄 三浦秋男氏です。
▽田中安全衛生コンサルタント事務所

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